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Broadleaves Project とは

今から20年前、私達がまだ駆け出しのデザイナーであった頃に若気の至りで行っていたセルフプロジェクトですが、結果的に現在の私達の活動の原点とも言えるものとなっていますので、ここにアーカイブとして紹介させていただきます。

「Broadleaves Project」は四凹型の白いビスク磁器の皿、ケヤキの種、苗床、説明書、コンセプトカード3枚がセットになったもので、体験者はケヤキの種を発芽させ、その生長をインターネット上の Broadleaves Project のサイトにアップロードすることによって、体験者同士が様々な場所で同時期に育っていくケヤキの姿を見る体験を共有し、自然には始まりがあるということを体験から理解することができるのではないかという実験的なプロジェクトです。

2000年11月に代官山ヒルサイドテラスウエストにて行われたDream Design Project 出展作として製作し、2001.5.10~7.17の間、新宿パークタワーOZONEでのサスティナブルデザイン展での講演と展示を行いました。

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Concept

かつて日本の山々は美しい雑木林でおおわれ、春の新緑、秋の紅葉と、
四季様々な姿を見せてきた。
しかし成長の早い杉が建築資材として植林され、広葉樹は伐採されていった。
多くの家々の庭先や街路には落ち葉の始末が面倒だと、常緑樹が植えられ、
落葉樹はかえりみられなくなっていった。
それでもなお人々は紅葉を楽しみに山へ出かけていく。
それは何故だろう。

落葉樹は茂った葉で夏の強い日差しを遮り、冬は落葉し暖かい日差しを受け入れる。
一年を通じて変化していく色や光、
人々は四季の移ろいや美しい景色を本質的に求めているのだろう。
庭に散った落葉を掃き清めるという些細な行為の中にでさえ、
自然と一体化するという日本の文化、風情というものが感じられる。
ただ私たちはそれ受け入れる心の輝きを失ってしまっただけなのだ。

子供の頃、野原に生えていた大きな木、河岸に在った並木、
それが元は一つの種から生まれたということも
私たちは忘れていたのではないだろうか。

 

古い日本の道具、日用品 に共通してみられることは、
単純で素朴でありながら様々な用いられかたをするということ。
箸に見られるように、わずか二本の棒が、
その使い方、使いこなしによって、実に自由な振る舞いをします。
それは使う人々の裁量に任されています。
私たちの祖先が受け継いできた生活思想は、
「形態の単純さはフレキシビリティをもたらす」ということ。
そして、その形態の単純さというものは、
素材の美しさをひきたて、生かすことへとつながります。

 

私たちがデザインしたこの皿はいろいろな使い方の可能性がありますが、
その一つとして広葉樹を種から育てるプロジェクトを提案しています。

あなたが同封の苗床に種を植え付けるところから成長の過程を自ら記録し、
それをthingsstyle.comのwebに設けられたページ上で公開します。
そこでは他にも各地から寄せられた複数の木が育ち、
時間と共に森を形成していきます。
あなたが育てる数本の苗は大きな森の一部であることを実感するでしょう。

このプロジェクトは自分の思う場所へ苗を地植えするところで完結し、
あとはあなたに代わって自然が木を育てていきます。
数十年の後、成木となった広葉樹はいつか美しい日本の景色の一部となり、
また、自らの手で木を育てるという時間の中で、
私たちが自ら踏み外してしまった自然のサイクルの中に
再び帰るという小さな可能性を見いだすことになるかもしれません。

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SEMINAR at OZONE 10.Mar.2001

2001年5月10日サスティナブルデザイン展オープニングセッションにおいて行われた、THINGS/THINGSSTYLE.COM安島諭による「Broadleaves Project ~風景のある街~」の公演内容を記したものです。

こんにちはTHINGSSTYLE.COMの安島です。
このサスティナブルデザイン展では3階の「自然との共生」のブースに「Broadleaves Project」発芽皿として展示されています。

まずこの内容を説明いたしますと、
白磁のシンプルな皿とケヤキの種、苗床、そしてコンセプトを記したカードがセットになっています。皆様のお手元に3枚のカードがいっていると思いますが、それがそのコンセプトカードです。この皿の使い方は自由です。どのように使っていただいてもかまいません。形が単純だから様々な用途に使うことができます。食器でも、キャンドルスタンドでもいいと思います。

こういった使い方におけるフレキシビリティーは日本の古来の生活思想の中には元々あったものだと思います。様々に使うことができる皿ですが、僕たちはその中でも種を育てる発芽皿としての使い方を提案しています。

なぜ発芽皿としての提案をしているのかというと、元々これは 2000年11月に代官山ヒルサイドテラスウエストにて行われたDream Design Project 出展作として製作いたしました。

この展示会の主催者の方が「メッセージと共に物を売りたい」ということをプロジェクトの最初の方でいわれていました。
これはただ物を売るのではなく、物を作った人たちの意図やそのものの意味を一緒に伝えていきたいということです。若干意味は違うのですが、僕たちはこの皿によって同時に自分たちが感じていたこと考えていたことをメッセージにして伝えたいと考えたのです。
そして感じていたこと、つまりこの皿の制作動機につながったのがこれまで僕たちの周りで起きたいくつかの出来事でした。

5つの出来事

今から7年ほど前、部屋の外においてあった植木鉢の土から小さな芽が生えているのに気づきました。何だろうと思いながらもそれが何の芽か分からないまま育てて、何年かして30cm位の大きさの木になりました。

ある風の強い日に葉の縁が枯れてしまい、慌てて花屋に相談に行くと、「この葉の形だとたぶんブナの木じゃないかな、ブナは風に弱いんですよ。」そこで初めてそれがブナの木であることを知りました。家具の製作などで木材としてのブナは知っていましたが、恥ずかしながらブナの樹形、葉の形を知ったのはこれが初めてでした。
これ以来、木そのものの美しさ、剪定されない本来の樹形などに関心を持つようになりました。気に入った木を見つけるとこの木は何だろう、とか、種は落ちていないかな、と探したりします。

今ではこの小さなブナの木は、僕たちにとって家族のような存在になっています。

ぼくは杉花粉症で毎年2ヶ月ぐらいはマスクをかけたままです。同じようにこれまで大丈夫だったのに杉花粉症の症状を持つ人が最近増えています。
その原因は必ずしも杉の花粉だけではないとは思うのですが、テレビのニュースでその原因に関する特集を放映していました。

植林された杉は25年で切り出され建築材としてだいたい使用されます。ところが輸入材の増加により林は放置されて、今ではそのほとんどの木の樹齢が50年を迎えようとしているそうです。50年前後の杉は大量の花粉を発生させるため花粉症が増える、という理由でした。一方、別のニュースでは杉の植林の様子を取材した様子が流れていました。

僕は使われずに放置されている杉林がある一方で新たに杉の植林を行っていると言うことに矛盾を感じました。
数寄屋の建築材としての植林が盛んに行われた江戸時代以前は日本の山々は色とりどりの雑木林に覆われていたと聞いています。

家具製作の材料をよく探しに行く学芸大学にある材木屋さんがいます。井口さんという方です。井口さんはいろんな話を聞かせてくれるのですが、ある日、国産材の話になりました。
林野庁が縮小され、白神山地の世界遺産登録で国産のブナのいい材料がほとんど手に入らなくなったということを言っていました。安い外材が入ってきて日本林業が経済的に成り立たなくなってしまったというのが原因だろうともいっていました。
確かに経済という目で見れば輸入材の方が遙かに安いのですが、資源という目で見れば外材は運送の分だけ余計に資源を消費していることになると思います。

10年ほど前、親しい友人が街路の植え込みや花壇などにこっそりとひまわりの種を植えるということを始めました。それはちょっとしたいたずらのような物でしたが、夏になると至る所で唐突に大きなひまわりの花が咲いている様子は、大変心和ませる物でした。
彼が言うにはロシア産の何とかというひまわりが一番大きくて笑えるということです。また銀座に植えた物は抜かれてしまったとか、隣の畑に植えたひまわりは一番大きくなった、きっとそこの人がひまわりだとわかって抜かないでおいてくれたんだろうとも話していました。
僕は友人がやった極めてゲリラ的なこの行動がとても気に入りました。

僕も年を取ったせいかここ数年、日本人であることについて考えるようになりました。料理にしろ何にしろ素材を大切にするという考え方は、日本が豊かな自然資源に恵まれていたからではないのだろうか。変化に富んだ自然の、ある特定の環境の元で生まれた素材が最高であるとか、そのような物はそのままで十分に素晴らしい、だからそのままでいいんだ、という達観した人生観のような思想はそういうところから生まれてくるのではないかと思うようになってきました。

「発芽皿」の存在

木を育てるのに僕たちが作った「発芽皿」は必要ないでしょう。種も買う必要はありません、拾ってくればいいんです。
ただこの「発芽皿」は、種を育ててみようというという行為の単なるきっかけとしての存在であればいいと思っています。

なかなか芽が出ない、なかなか大きくならない木の芽と長く過ごすことによって、植物が育つことについて、木について、自然について、考えるようになった自分の体験から、
これを育てる誰かも同じようにそこから何かを受け取るのではないかと考えたのです。

人は様々な経験をして、その経験が人を作っていきます。同じように一見脈略のないいくつかの出来事が「発芽皿」を形作ったといえるのかもしれませんね。

街路樹

ここ数年、中国、とくに上海に行く機会が何度かありました。
僕の個人的な感想なのですが上海は東京よりも緑が多いように思いました。とくに車が通るような道には必ず街路樹が植えてあります。その姿も日本の物とかなり違うように思います。

日本の道路では街路樹は大型トラックやバスの運行を妨げないように(接触しないように)、また周辺の建物にかぶらないように、落ち葉の始末をしなくてすむように剪定することが慣例的に行われているのですが、例えば世田谷通りの銀杏のように狭い道路にある木などはすぐにちょんぎられてしまうんです。木はそれでも生きようとしますからとんでもないところから枝が出てきたりします。それで樹形はとんでもない形になるし、暑いさなかに落ち葉対策で切ってしまうものだから木陰もできない、どうしたらいいんだろうと思います。

上海では比較的樹齢のいっているものが多いせいか、中にはちょんぎられているものもありますが、のび放題で放っておいたような木がいい感じで木陰を作っています。
新宿でもこのあたり、ワシントンホテルの前あたりはいいケヤキがたくさん生えていますね。
この木陰というものはなかなか良くて、木陰があると人が道に出てくるんです。とくに大きな木の下なんていうのは居心地がいい、そういう力があるんですね。

私的占有

中国の風景でよく見かけたものは道にはみ出して商品を並べているお店や椅子を外に出してくつろいでいる老人や街路樹にロープを張って洗濯物を干している光景です。ちょっと田舎に行けば道路は車道も歩道もなく敷地の境界さえよくわかりません。元々土地や家屋が誰のものでもないというお国柄なのでその辺が曖昧なのも納得がいくような気もします。

こういった光景は日本でも昔や今でも田舎の方では見かけます。これは道路の私的占有ということになりますが、こういったことが街の活気や居心地の良さというものを醸し出しています。

あまりにもきっちりと事務的にいろんな境界をはっきりさせてしまうと窮屈で居心地の悪い空間になってしまいます。家と歩道の間に塀を建てたり、歩道と車道の間に段差を作ったり柵を作ったり、事務的な境界を造るためのものに、あまりにも多くの資源やお金を費やしているように思います。
もちろんこれは敷地への他人の進入を防いだり、歩行者が車道を渡ったりしないようにするためだとか、明確な理由があるのですが、そういったものがすごく街を醜くしているように思います。

ある時、歩道の工事で世田谷通りの横断防止柵が取り払われていた事がありました。あれ(横断防止柵)がないと道がこんなにきれいなのかと思いました。高規格道路というか制限速度を高くするために横断防止柵の設置が法的に決められているようですが、それがあまりにも大げさで醜いということに僕はいつもげんなりします。

土地の値段の高騰が人々の土地への執着をあおり、自分の土地にごつい柵や塀を張り巡らせる。日本中どこに行っても同じ造りの道路で、旅情もなければその土地の個性や風情も感じられない。モータリゼーションが発達し、道は歩行者から車に奪われ、街を歩く楽しみも奪ってしまう。すでに歩道を歩くという行為は狭い柵に囲まれた中でのただの移動でしかありません。

この写真のようにとくに商売するでもなく隣の店の人と、変な日本人が写真を撮ってるぞ何でこんな物撮ってるんだ、なんていう他愛ない会話を交わしたりする、こういった街路には自然と人が出てくるし、ただ何となく人と時間を過ごせたりする。このようなのんびりとした素朴な日常が僕にとってはとてもうらやましく思えるのです。

人が街路に集まる

子供達が木の下のベンチでトランプのような遊びをしています。ちょっとした木陰やベンチのような居場所があると人は自然と外で過ごすようになりますね。
外苑前の銀杏並木の下にもベンチがおかれていて、散歩途中の人々が座っていたりします。よくドラマのロケなどに使われているようですが、それくらいこういう場所が希少であるということなんでしょうね。

本来こういうところは人々が住む町の中にあって日常的に過ごせる方が何倍も豊かになると思います。今、子供達が過ごす場所はテレビの前か、ゲームセンターのようなところになってしまっています。せいぜいしつらえられた公園の中ぐらいにしか居場所がないのかもしれません(ちょっと大げさです)。
写真の子供達は通りかかった他の子供と話をしたり、道を歩いてくる近所の人が彼らに声をかけたり、そういった出来事が人との接し方や、社会性といったものを彼らに与えているのだと思います。町が彼らを育てるようなものです。

美人なんとか

また中国の名勝の庭園などによく見られる建物には、このような庭に面した回廊に美人何とか(失念しました)といって、手すり?が座れるような形になっています。歩き疲れたら、美しい景色を楽しむために、庭を見ながら座り時間を過ごせる場所が作られています。

日本でいえば縁側のようにリラックスして外の景色を楽しみながら時間を過ごす場所が外と中をシームレスに結びつけ、生活の中に彩りと豊かな時間を与えています。しいてはそれが自然や、美しい景色に対する愛情を育むことにつながっているように思います。

内部と外部を隔絶してしまうような現代の住宅は、もちろんこれは環境の悪化を背景としているのですが、自然も人も拒絶し、社会からの孤立と拒否を生み出す一因となり、それがまた周辺環境への悪化を引き起こすというネガティブスパイラルに陥っているように見えます。

クリストファー・アレグザンダーという建築家がCNNのインタビューに答えて次のように言っています「町にはその町を見渡せる丘や、高台が必要なんだ。人はそこから自らの住む町を見渡すことによって、その町に対する愛情が高まるんだ。」町の中にいては見えないことが、ちょっと離れて俯瞰してみるとよく見えてくる、あくせくとした日常からちょっと離れて自分たちの町を改めて眺めると町が好きになる。ここではそのような気持ちの変化と同じような事が起きている気がします。

人が集まる水辺

もう一つ人が自然と集まるところに水辺というものがありますね。写真は西湖という、まあ観光地なんですが中国でも風光明媚なところとされ、多くの人たちが訪れていました。

日本だとこういうところには人が落ちないように必ず柵がしてありますね。ここには柵がなくて美しいばかりでなく水との親密感もあります。落ちたって死にはしない、落ちるヤツが悪いんだよというスタンスがいいですね。

たとえ日本にこういう場所が残っていたとしても、子供が落ちたのは管理者である自治体のせいだとか、柵をしなかったから悪いとか、ということを言い出す人がいればこういう景色はいっぺんになくなってしまうでしょう。何か起きればとにかく誰か人のせいにして訴えようというようなアメリカ型の告訴社会になれば、こういうところには大きな柵ができたり、立入禁止になったりするでしょう。

東洋的な自己責任の概念が薄れていくことは、変なたとえですが大げさで醜い柵にお金と資源を費やすことになるし、安全という名のもとにことごとく行動が制限される窮屈な社会になっていくことになります。

いい加減さと大らかさ

これは観光地近くのお寺の中にある土産物屋の写真です。これは決して廃屋ではなく日々商売が行われている建物の屋根の上にたくさんの草花が生えています。家相では屋根に草花が生えるのは良くないこととされていますから、日本ではほとんど見かけることがないような光景ですね。

そしてこれはお寺の屋根の上です。中国ではわびさびの概念がありませんので、古いお寺でも年を経た渋みというものを受け入れるようなことはなく、古びればすかさず塗装をやり直し、ぴかぴかにしてしまいます。ところがこのお寺は人手がいないのか、あるいはポリシーなのか屋根の植物は生えっぱなしです。土産物屋だけならまだしも肝心のお寺の屋根の上にまで草が生えています。僕にはこの草の生え方や色彩が写真に収めたいほどに美しいものでした。

人によってご意見は様々にあると思いますが、僕にとってはこの力の抜けようと言うか、なるようになっているというようなところになぜかほっとする、心の安らぎを感じたりするのです。
これは極めて仏教的なメンタリティーなのかもしれませんが、何でもかんでも人が全てをコントロールしようとすることは、前述の道路の話のようにとても疲れるし、いたたまれないですね。

それは僕のようなデザイナーは自分の首を絞めるようなことかもしれませんが、そのままでいいものは別に手を加えずに放っておけばいいんじゃないか、無理矢理何かに手を加えて何が何でもきれいに新しくする必要なんかないんじゃないかと思う。モノカルチャーな一元的なものの見方では本当に美しいものを失ってしまう。

世の中の流行や常識というものが大きく同じ方向に流れているときにはそういった大切なものを失ってしまう。明治維新や戦争、高度経済成長、バブル経済、その中で新たに生まれたものは数多いが失ったものも多い。

僕は新しいものと古いもの、様々な考えが同居しているのがいいと思う。それはお互いに学ぶものがあるということです。

沖縄-白保

このような場所が日本に残っているのは奇跡のように感じます。
去年の9月に石垣島を訪れたとき、宿の民宿でたまたま珊瑚の調査隊の人たちと一緒になり、WWFJの小林先生や三重大学の目崎先生などもいらっしゃっていて、そこでいろいろな話を伺いました。
白保にはWWFJの珊瑚センターというのがあるのですが、ここはその小林先生が中心になって作られたものだそうです。

小林先生は、「白保の海には美しい素晴らしい資源がある。ここにすむ多くの方はごく自然に、あまりにも身近にそういったものがあるためにかえって気が付かないでいます。僕たちはみなさんの近くにこんなにいいものがあるんです、こんないいものをみなさんは持っているんです、ということをもっと知ってもらいたい。そしてみなさんと一緒にこれを守っていきたい、そういう理由でこの珊瑚センターを作りました。」文面はちょっと違うかもしれませんがそう言っておられました。実際の研究活動の他に、大切なイベントとして地元の住民や小学生と一緒に観察会などもやっておられるようです。

デザインとは

僕は今まで日常の些細な出来事、ということをデザインのテーマにしてきました。それは普段あまりにも何気なく存在しているものや、普通なら気にも留めないような些細な出来事の中に、すごく大切な事柄が存在しているのではないかということです。
白保の人たちにとっての珊瑚礁のように、あまりにも身近なためにその価値に気が付かないでいただけかもしれません。

旅をすることによって接する、いろんな国や地域で起きている日常の些細な出来事が僕の中でデザインの道しるべになっています。
それはまた僕自身が住んでいる町で起きている些細な出来事の価値に気づかせてくれる事もあります。

中国や沖縄やアフリカや東南アジアで感じた大らかないい加減さ、そのままがいいなら放っておけばいい、そういうところがすごく気持ちがいい。
隅々までがちがちにデザインし尽くしてしまうのではなく、ある程度なりに、自然に任せてしまうようなところがあってもいいんじゃないか、逆にその方が気持ちいいかもしれないなと思います。
大らかないい加減さ、それは僕たち日本人はもともと持っていることじゃないかと思います。

最近海外でも頻繁に取り上げられる禅の思想、それを背景としたわびさびの概念、常に何か対局にある事との対峙の中から答えを求めようとする姿。静寂や無を愛し、素朴さや素直さ、自然であることを良しとする教え。私たちはそれらを当たり前に受け継ぐことのできる場にいたはずです。
人が増え資源の枯渇が叫ばれている現代において、僕はそのような日本の思想が最後の救いになるのではないかと感じています。

最後にー黒島

最後に先月行ってきた沖縄の黒島のことについて話したいと思います。
黒島は石垣島から船で約25分の位置にある島で、島の人口が170人という小さな島です。島には住民の10倍の数の牛がいて島のほとんどは牧場という素朴な島です。

この島には日本の道100選に選ばれているという東筋という通りがあって、珊瑚礁の白い砂が敷き詰められた通りで非常に美しいと観光ガイドには書かれています。僕がここを訪れたのもこの通りを見ておきたいという理由もありました。

実際に行ってみると、この通りはアスファルト舗装され、工事の最後の仕上げとして白線が引かれているところでした。

宿に帰ってその話をしていると宿のご主人がそのいきさつを話してくれました。
東筋が日本の道100選に選ばれた当時は、島に車は16台しかなかったそうです。今は100台以上あって、東筋は迂回路もなく乗用車や工事の車がひっきりなしに通過するそうです。
珊瑚の砂でできた道は耐久性がなく、通り沿いに住む人たちは庭に洗濯物を干すことも、昼間窓を開けて過ごすこともできないほど粉塵で苦しんでいたそうです。そして住民の人たちから何とかして欲しいと話があったときに島民全員でこのことを話し合ったそうです。

東筋の車の往来を制限するか、迂回路を造るか、アスファルト舗装をするか。
生活道路である東筋を観光のために通行止めにするわけにもいかず、島にはお金がないから迂回路も造れない。アスファルト舗装をするなら県からお金が出るらしい。観光資源としての東筋が失われるのは残念だが、それよりも周辺の人たちが10年間もの長い間、島のために文句も言わずよく我慢してくれたと島民全員でお礼を言ったそうです。

僕のような旅行者が、表面的に見れば舗装されてがっかりということなのですが、その背景にある、土地に根を下ろした生活、そこに住む住民同士が互いを尊重しあい、理解し思いやること事、それが本当に当たり前に黒島に人たちの中に存在しているということに僕は深く感動しました。
黒島については本当にいい話がもっともっともっとあるのですが、残念ですが時間が来てしまいましたのでこれぐらいにしておきます。

僕のこれまでの話はこの「サスティナブルデザイン展」に関係のない、あるいは全く反対のことを言っているようにも思えます。僕はこのような運動を進めるにあたって、ただひたすら目標に向かって突き進むのではなく、黒島の人たちが本当に普通にもっているような人としての心をデザインは失ってはいけないと思います。

ビクター・パパネック博士がその著「生きのびるためのデザイン」の中で、プロダクトデザイナーはおおよそ考えられる職業の中で最悪のものだ、と言っています。
「人々の欲望を煽り、購買欲を煽り、消費を煽るためのデザインなど、この世の中のためにどうして必要だと言えるだろうか。限りある資源を消費し、経済的繁栄のために、必要でもないものを買わせ、ゴミを生み出すために存在するのがプロダクトデザイナーという職業なのだ。」

僕たちデザイナーはなぜデザインするのか?僕たちが存在する意味は?役割は?僕たちはその本当の理由を探さなくてはいけません。

長い間、僕の話にお付き合いいただき有り難うございました。

Epilogue

Epilogue

BroadLeaves Project のWeb上でのイベントは終了しましたが、今もどこかで小さなケヤキの種が芽を出し、育っていることでしょう。
その木が大きく育ち、美しい景色となる頃には、私たちはもうこの世にはいないかもしれません。

自然は自らの力で生きていますが、人々が生きると言うことは、避けられず自然に影響を与えてしまうことです。

これほどまでに人が増えてしまった今、私たちが目にしている美しい景色や自然は、今は亡き先人達が意図して残してくれたものかもしれません。
同じように先人達が残した文化や思想、それらを記した書物や記録に接し、先人達の考えに触れることができるということはとても幸せなことだと思います。

サスティナブルであるということは、そういうことなのかもしれませんね。

Epilogue